TEL(スマホOK):0134-22-6778
マップコード:164 748 189*40
小樽 伏見稲荷神社は小樽市長橋にある神社です。
創建は1858年~1860年くらい(安政5~6年)と言われていますが、一説では文治年間(1180年代後半)とも言われています(ただしこの説には無理があるように思います)。
高台にあり境内からは海も見えるようになっています。
なお正式名称は「伏見稲荷神社」ですが同じ社名の神社が全国にあるため便宜上「小樽伏見稲荷神社」としています。
小樽伏見稲荷神社の詳細・アクセス方法
- 住所:〒047-0036 北海道小樽市長橋1丁目17−8
- 電話番号:0134-22-6778
- スマホなら上記電話番号タップで電話出来ます
- 営業時間:参拝だけなら24時間
- 定休日:なし
- 入場料:なし
- 駐車場:駐車スペースはあり
- マップコード:164 748 189*40
- 公式サイト:なし
- 御朱印:無い模様
小樽 伏見稲荷神社へのアクセス方法・行き方
小樽 伏見稲荷神社へは車が便利ですが、冬季は危険です。非常に細い道で坂道なので、出来れば公共交通機関で向かうことをおすすめします。
公共交通機関の場合、小樽駅から北海道中央バス「8 おたもい線/38おたもい ぱるて築港線」「14 梅源線」「17 塩谷線 18余市線」に乗車、「長橋2丁目1」で下車、そこから徒歩10~15分くらい、距離にして約550メートルです。
距離の割に時間がかかるのはほぼ上り坂だからです。
線路を超えてからはずっと上り坂です。
バスの本数は比較的多くなっています。
小樽 伏見稲荷神社の御祭神とご利益、由緒
小樽 伏見稲荷神社の御祭神
小樽伏見稲荷神社の御祭神は2つの説があります。
- 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
上記の1柱のみとする場合と
- 佐田彦大神
- 大宮女大神
- 大山祇大神
- 明治天皇
上記の4柱を加える場合です。
伏見稲荷神社なので、宇迦之御魂神・佐田彦大神・大宮女大神の3柱であることは普通のことなので、恐らくはこの3柱が御祭神だと思われます。
大山祇大神・明治天皇については後に合祀した神社の御祭神だと思われます。
小樽 伏見稲荷神社のご利益
伏見稲荷神社なので、下記のことに特にご利益がありそうです。
- 商売繁盛
- 五穀豊穣
- 安全祈願
- 技能・芸能
小樽 伏見稲荷神社の歴史・由緒
創建は1858年~1860年くらい(安政5~6年)と言われていますが、一説では文治年間(1180年代後半)とも言われています。
ただし文治年間に創建されたとするとある意味、大発見であり北海道の神社の歴史だけでなく、北海道の歴史そのものが大きく変わるので、1860年頃に創建されたと考えるのが良さそうです。
小樽市史 第三巻には下記のように書かれています。
伏見稲荷神社 砂留町番外地
本社の創立は遠く文治年間鎌倉時代と伝えられている。明治24年社殿を改築し新たに京都伏見官幣大社稲荷神社から分霊を奉斎し昭和3年内務大臣から北海道初の伏見稲荷神社の公称の許可を受け、昭和18年社殿を改築し郷社の資格申請中終戦となった。尚戦後清水町の明治神宮を此所に遷座した。
発行所 国書刊行会 小樽市史 第三巻 444ページより
*小樽市史では元号の年の表記は漢字ですが読みやすくするため英数字に変更しています。
文治年間鎌倉時代は1180年代後半ですが、一般的な小樽の歴史は1600年頃からスタートしています。1596年(慶長元年)に渡島福山の住人八木勘右衛門が、オタルナイに入るというのが文献上の最初の和人入植とされているので、考えにくいことです。
もちろん、それ以前から後志エリアに和人(この場合は本州から来たという意味)が入ったという伝承はあります。
何より以前からあった後志・小樽エリアの原始宗教と後に本州から持ち込まれた神道が混ざり合った可能性も無いとは言えません。
なお、終戦前に郷社になっていたら、北海道神社庁に所属していたかもしれませんが、小樽伏見稲荷神社は北海道神社庁には所属していない単立の神社です。
そして明治24年に京都伏見官幣大社稲荷神社から分霊を受け北海道初の伏見稲荷神社の公称を受けたとありますが札幌の伏見稲荷神社は明治17年(1884年)に分霊を祀っているので、その後ということになり信憑性にやや欠ける内容となっています。
明治神宮が小樽市清水町に戦後まであったことがこの資料からわかります。清水町と言えば今はなき北源神社、そして今も存在感ある薬師神社の2社がありますが、どこにあったのか気になるところです。
小樽伏見稲荷神社の様子
線路脇の上り坂を上っていき、ようやく下りだ!と思った頃に左側を見ると上記写真のように細い坂道があります。ここを上がっていきます。
すると車が10台近くは停められそうなスペースがあり右側に小樽伏見稲荷神社があります。
広いスペースには「昭忠碑」と刻まれた、上に砲弾のようなものが乗った碑があります。
この碑の側面には第七師団長 杉原美代太郎と刻まれていました。
杉原美代太郎氏は1933年(昭和8年)第七師団長として北海道に駐屯するようになった旧日本軍の軍人です。
昭忠碑とは、一般的には戦没者に対する慰霊顕彰碑です。
昭忠碑の後ろにやや崩れた階段があるので、上がっていくと鳥居が見えてきます。
それほど大きな鳥居ではありませんが、立派な鳥居です。
鳥居には社号額がついていて「伏見稲荷神社」と記されています。
鳥居の手前には赤子を抱いた観音像とその下にはカエルの像
なぜカエルなのかわかりませんが、無事に帰る等の縁起物として扱われることがあるので、その影響かもしれません。
像の奥には立派な木がありましたが特に御神木にはなっていないようです。
鳥居をくぐり社殿の方へ
15段程度の階段を上り社殿へと向かいます。
社殿はそれほど大きくは無いものの時折掃除はされているようでした。
ただ社殿の軒下に大きなスズメバチの巣が!!!
夏場に黒い服装で行くと危険なので注意してください。
社殿から振り返った時の様子
小樽伏見稲荷神社の社務所
階段を上っていく時に左側を見ると上記の建物があります。
小樽伏見稲荷神社の社務所です。
社務所の前にかかっている看板には
「北海道御本宮 伏見稲荷神社 摂社 北海道明治神宮 社務所」と記されていました。
摂社として「北海道明治神宮」というものがあるのかな?と周りを散策しましたが、発見することは出来ませんでした。
なお普段は神職の方はいないようで、御朱印も無いようです。
小樽伏見稲荷神社の境内からは遠くに海を見ることが出来ました。
以上、小樽伏見稲荷神社についてでした。
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