球徳稲荷大明神(きゅうとくいなりだいみょうじん)は、札幌市手稲区にある神社なのかお寺なのか由緒が不明のお稲荷様を祀る神社かお寺です。
一部で稲荷社という資料もあるので神社の可能性が高いのですが謎を謎を呼ぶ場所です。
球徳稲荷大明神の詳細とアクセス方法
- 住所:〒006-0019 北海道札幌市手稲区富丘6条3丁目1
- 電話番号:なし
- 営業時間:24時間ですが夜は非常に怖いです
- 定休日:なし
- 入場料:なし
- 駐車場:駐車スベースは近くにあります
- マップコード:493 359 839*68 (駐車スペースに設定)
球徳稲荷大明神へのアクセス方法・行き方
球徳稲荷大明神へは車が便利です。というよりも車で行かないと不便ですし、何かあった時に怖いです。
マップコード対応のカーナビの場合はマップコードを、マップコード非対応のカーナビの場合は住所で検索してください。
高速道路の手稲出口の1km手前あたりにあるのがわかります。
どうしても公共交通機関で行きたい場合は、JR函館本線「手稲駅」からJR北海道バス「手100:富丘高台線」に乗り「富丘5条4丁目」バス停もしくは「富丘5条3丁目」バス停で下車、そこから徒歩5くらい、距離にして約300メートルです。上り坂なので少し時間がかかります。
札樽自動車道(高速道路)のアンダーパスを抜けたところに3台くらい車を停められるスペースがありますので、そこに車を停めて向かいます。
坂道を20メートルほど進めば球徳稲荷大明神の入口になります。
上記写真が球徳稲荷大明神の入口です。石の階段と幟(のぼり)が目印です。
球徳稲荷大明神の境内の様子
数段の階段を上ると赤い鳥居があります。
そしてその奥には山道のような階段があります。
定期的に人が通っているような痕跡はありました。
そして2つ目の鳥居があります。
2つ目の鳥居をくぐると正面に社か仏殿かわかりませんが鎮座しており、左右にお稲荷様が鎮座しています。
耳がすごく立派なお稲荷様ですが、右側のお稲荷様は耳が欠けてしまっているのが可愛そうに感じます。
建物も朱塗で神社っぽく見えます。
扉が開いたので中を見てます。
鈴があります。
賽銭箱もありますが、ロウソク立てや線香立てもあるので仏教系にも見えます。
建物の前からふりかってみます。
雰囲気的には神社ですね。
お賽銭をして手を合せてお参りだけして後にしました。
球徳稲荷大明神は神社かお寺か?
ネットの情報を見ていると「球徳稲荷社」と書いてあるところや「球徳稲荷神社」と書いてあるところはありますが、出典の記載が無いため単に記事を書いた人の勘違いや思い込みの可能性があります。
また建物の中の御神体(?)を見たのですが「金剛夜叉明王」と書かれてました。
金剛夜叉明王は仏教の神様ですから神社で祀ることはありません。
お稲荷様というと稲荷神社を想像する方も多いのですが、日本三大稲荷とも数えられる愛知県の豊川稲荷はお寺であり、朱塗りの鳥居をお寺ですが構えています。
なのでお稲荷様=神社と考えるのは安直です。
実際、札幌でも薄野に「豊川稲荷 札幌別院」があります。
もし祀っているのが「金剛夜叉明王」ではなく豊川稲荷で祀られている荼枳尼天(だきにてん)であればお寺だと確信が持てるのですが・・・
神仏混合で札幌の神社の中にも仏教系の神様を祀っているところもあるので由緒が判明しない限り、正確にはわかりませんね。
手稲区役所の「6.幻の三十三カ所」という記事があります。
この記事では「球徳稲荷社」と書かれていたので手稲区役所に神社かお寺か問い合わせたところ「調べましたがわかりません」という回答をいただいています(なら稲荷社と書かない方が良いと思うのですが、どこかの文献で稲荷社と見たかもしれませんね)。
お稲荷様の台に書かれている年を見ると昭和33年(1958年)なので寄進者の方も当時20才台としても90才以上にはなっていますから見つけ出すことも難しそうです。
もし球徳稲荷大明神について何かしらの情報をお持ちの方はお教えください。
手稲養狐場との関係
かつて球徳稲荷大明神のある手稲区富丘に「手稲養狐場」があったことからその関係では?というコメントをいただきました。
実際にかつて手稲区富丘に「手稲養狐場」(軽川養狐場)がありました。
上記の写真はかつて手稲区で一部配布された区民への手稲の歴史等をまとめた小冊子の一部です。
ただ球徳稲荷大明神との関わりは調べてみましたが分かりませんでした。
以上、球徳稲荷大明神についてでした。
コメント この場所に行ったことがあるのなら是非感想を書いてくださいね。
大正末から昭和の初期にかけて同じ富岡に養狐場なるものがあったそうです。
稲荷と狐ということで何か関連があるかも知れませんね。
コメントありがとうございます。
養狐場がここにあったんですね!最近ゴールデンカムイを読んで「養狐場」の存在を知ったばかりですが、その供養のためということも考えられますね。
貴重な情報ありがとうございます!
富丘とは裏側にあたる手稲山の麓に住んでいますが
自宅の庭にテンかミンクかよく分からないですが
しょっちゅう出没するので
近所の開拓期から続く家柄の古老へ聞いたところ
軽川養狐場で当時、銀黒狐以外にも毛皮となるテンやミンクも飼っていて
たぶんそれが逃げ出して野生化した子孫だろうと言ってました
ご存じのように、「球徳稲荷大明神」の建つ辺りはかつて手稲山への登山口でしたが、その手稲山山頂の「手稲神社奥宮」には御祭神の一つとして「九徳稲荷大神」が祀られています。
また、郷土誌『富丘今昔物語』(昭和54)では、この御祭神のことを「光風館の九徳稲荷」と表現しています。同著によると当時の光風館は、この登山口から入る登山者の取扱もしていたようです。「球」と「九」で微妙に名前は違いますが、「球徳稲荷」が光風館に縁を持つと考えても良さそうに思います。
すぐ近くに住んでいます。私も気になって調べていました。時々、散歩がてら上がっていますがいつ行っても整備されています。整備している方を探すのが一番早いかもしれませんね。光風館が解体された後に手稲温泉北家ができましたが、その跡地に住んでおられる方に聞いてみたいと思いつつ、ご近所すぎてなかなか勇気が出ません、笑。神社からさらに上がったところにある北海道造林合資会社の石碑にもぜひ行ってみてください。
手稲町法(上)には開拓以前に存在し、有志の方々がそれらの祠を保護する為に屋根等を建設したと記載されていました。しかし、これ以上の明確な情報は見つけられませんでした。ここからは私の憶測の域を出ませんが、元々ある祠に旅館・登山関係者かは分かりませんがそれらの繁盛や無病息災を願って道教の神様である不動明王を新たに御神体として祀ったのではないかなと思いました。又、このような仏教系統の神様を祀った神社を神宮寺と呼ぶらしく、正しく日本人の神仏習合という概念が垣間見れる特徴的なものだそうです。