有島武郎旧邸は、札幌市南区にある札幌芸術の森の中にある史跡です。
1913年(大正2年)に建てられた邸宅をそのまま移築して誰でも無料で見学することが出来るようになっています。
有島武郎は著名な小説家で「或る女」「カインの末裔」等有名な小説を数多く残しており、有島武郎に関する資料も旧邸には数多く展示されています。
有島武郎旧邸の詳細とアクセス方法
有島武郎旧邸へのアクセス方法・行き方
有島武郎旧邸は札幌芸術の森の中にあります。
札幌芸術の森については下記記事をご覧ください。
有島武郎旧邸の様子と有島武郎について
札幌芸術の森のP1駐車場に車を停めて南側にある樹々を見るとその奥に有島武郎旧邸があります。
樹々の中を抜けていくとすぐ有島武郎旧邸に到着します。
有島武郎は農学者を目指し札幌農学校(現 北海道大学)に進学し、キリスト教の洗礼を受けてアメリアに留学をします。
そして日本に戻ってきて札幌永住することを決めて自ら構想・設計した家を今の北海道大学近くの地下鉄南北線「北12条駅」付近に建てます。
北12条駅のすぐ近くに「有島武郎邸跡」の記念碑が建てられています。
北12条駅の近くに住む前は、豊平川の近く、現在の白石区菊水にも住んでいた時期があります。
有島武郎旧邸は10の部屋を持つ洋風建築で上記写真の通り、当時としては非常にモダンな造りであったと言えます。
1912年に完成した翌年に有島武郎の妻が病で倒れたため実際には1年弱しかこの家には住んでなかったとされています。
その後、有島武郎旧邸は北海道大学の所有となり職員や大学院生の寮として利用されていましたが、1983年(昭和58年)に廃寮となり札幌芸術の森に移築されることになりました。
正面の門には「有島」という表札がついています
この表札まで元のものなのかは不明です。
門の中に入り左側を見ると「さっぽろ・ふるさと文化百選」のプレートが置かれています。
プレートに書かれた説明文は色が落ち完全には読めなくなってしまっています。
館内に入ると木の感じが歴史を感じさせてくれます。
上記の写真の部屋で珈琲をいただくことも出来ます。
珈琲をいただける部屋の前にある部屋
ここには給仕用の小窓があります。
ほとんどの部屋が和室で、有島武郎に関する資料が和室に置かれたガラスケースに展示されている光景は日本ならではだと言えます。
有島武郎に関する年表もあります。
窓の格子が特徴的です。
普通の窓の部屋もありました。
有島武郎の代表作である「或る女」「カインの末裔」「生れ出づる悩み」の文庫も展示されています。
写真も展示されていますが、良い顔立ちですね。
ただ有島武郎は妻と父を亡くした後、作家活動に打ち込むようになりますが、創作力に衰えを感じ始め筆を断つようになります。
その後、人妻と不倫関係になり長野県軽井沢の別荘で心中します。
2階も開放されており見学出来るようになっています。
2階には洋室もありました。
廊下の床板の光具合がとても古さを感じさせてくれます。
大正時代の文豪である有島武郎の旧邸、落ち着いた雰囲気のある歴史的な建物です。
是非見学に来てください。
もう1つの有島武郎邸と史跡
有島武郎が北海道大学の近く、現在の地下鉄南北線「北12条駅」付近に住んでいたことがあることは書きました。その時の家が今回紹介している芸術の森にある「有島武郎旧邸」です。
北12条駅の出口の前にあるビルの敷地の一角に有島武郎邸跡として記念碑があります。
北海道大学の近くに住む前は、豊平川の近く、現在の白石区菊水に住んでいた時期もあり、その場所の近くには「白石 ・歴しるべ」として説明板が建っています。
河岸公演という小さな公園の中に案内板はあります。
説明板には「道路向かい約20メートルのところにあった」と書かれているので実際には案内板の前にある駐車場や木がある場所あたりに建っていたと思われます。
地下鉄東西線「菊水駅」から徒歩10分くらいの場所です。
この白石区に住んでいた時の家は、北海道開拓の村に復元されて保存されています。
北海道開拓の村については下記記事をご覧ください。
以上、有島武郎旧邸についてでした。
コメント この場所に行ったことがあるのなら是非感想を書いてくださいね。