島義勇は札幌の基礎を作り「北海道開拓の父」と呼ばれる人物です。
北海道神宮の手水舎の後ろには大きな島義勇像が置かれています。
島義勇が札幌に来た時に「コタンベツの丘」というところから札幌を見て「世界一の都を作る(意訳)」と言ったそうで、「島義勇とコタンベツの丘」として「世界一の都を作る(意訳)」と言った場所だと思われる付近に記念碑が建っており、「さっぽろ・ふるさと文化百選」のプレートも一緒に置かれています。
「島判官紀功碑」と「島判官建碑寄附芳名」の副碑の場所
「島判官紀功碑」と「島判官建碑寄附芳名」の副碑は円山公園の中にあります。
場所は上記Googleマップの中心部の辺りです。
円山公園へのアクセスは下記記事をご覧ください。
記念碑の横に「さっぽろ・ふるさと文化百選」のプレートも設置されています。
「島判官紀功碑」は島義勇の功績をたたえ建てられた記念碑です。
「島判官紀功碑」は高さ約8メートルもある巨大な石碑です。
読みづらいですが「島判官紀功碑」と書かれています。
この石碑の後ろには副碑である「島判官建碑寄附芳名」の石碑が置かれています。
こちらも2メートルくらいある大きな石碑です。
「島判官建碑寄附芳名」と記されていますが、横読みでは読めませんよね。
右から縦読みしてください。
北海道神宮 島義勇の像
北海道神宮の手水舎の後ろには「島義勇の像」という大きな銅像があります。
見上げる大きさです。
銅像の手前には「島義勇判官銅像建立の記」と書かれたプレートがあり、この銅像が建てられた理由等が書かれています。
ただこの銅像、頭が非常に大きく足が短いのでバランス的にはどうなんだろう?と思うかもしれません。
下から見上げることを前提に作られたのかもしれません。
札幌市役所の島義勇の銅像
大通公園の隣にある札幌市役所の1階にも島義勇の銅像があります。
コタンベツの丘で札幌を望む姿を表しているそうです。
島義勇って何をした人なの?
ところで、島義勇って何をした人なの?と思いますよね。
ものすごく大雑把に言えば
- 北海道開拓の責任者の1人(開拓使判官)
- 札幌を北海道の本府(北海道の中心地、今で言う都道府県庁所在地)に決める
- 札幌を京都のような碁盤の目のような生前とした町並みにすることを決める
- 悪い役人にはめられ、解任させられる
- 佐賀県で明治政府に逆らい(佐賀の乱)、捕まって斬首される(明治7年・1874年)
- 明治22年(1889年)、大赦により今までの功績を認められ北海道でようやく石碑や銅像が作られるようになり、北海道開拓の父として名を馳せるようになっていく
とこんな感じです。
北海道では親しみをこめて「判官さま」と呼ばれるようになり、北海道神宮にある六花亭では「判官さま」という和菓子が販売されています。
コタンベツの丘について
コタンベツの丘は「島判官紀功碑」の近くだろうというのが通説ですが、他には円山山頂、三角山山頂と言った説まであります。
いろいろな人が調べていますが、最近では「島判官紀功碑」のある小高い丘だったということになっています。
実際に「島判官紀功碑」に立ってどこだったか考えてみるのも良いかもしれませんよ。
以上、島義勇とコタンベツの丘についてでした。
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