志村鐵一は、札幌に初めて居住したと言われる和人と言われており、まだ橋が無かった頃の豊平川の渡し守(川等を船で渡る時の船頭及びその管理者)を幕府から任命され行っていた人です。
札幌開祖の1人とされています。
その志村鐵一の功績を讃え顕彰碑(功績を讃えた記念碑・石碑等のこと)が豊平川のほとりに建っており、「志村鐵一ゆかりの地」とされています。
なお「志村鐵一ゆかりの地」は、「さっぽろ・ふるさと文化百選」のNo.63に選定されています。
志村鐵一ゆかりの地・記念碑の詳細・アクセス方法
- 住所:〒062-0904 北海道札幌市豊平区豊平4条1丁目1-1
- 電話番号:なし
- 営業時間:24時間(公道に面しているため公道からはいつでも見学可能)
- 定休日:なし
- 入場料:なし
- 駐車場:なし(有料駐車場あり)
- マップコード:9 494 247*34
志村鐵一ゆかりの地である顕彰碑は「プレミアムホテル TSUBAKI 札幌」というホテルの敷地内にあります。そのため有料となりますがホテルの駐車場が最寄りの駐車場となります。
レストランの利用で4時間まで無料になります。一般駐車は1時間350円です。
志村鐵一ゆかりの地 へのアクセス方法・行き方
志村鐵一ゆかりの地へは車が便利ですが先に書いた通り有料駐車場しかありません。
公共交通機関の場合は、
- 地下鉄南北線「豊水すすきの駅」3番出口より徒歩10~12分・約850メートル
- 地下鉄東西線「菊水駅」2番出口より徒歩11~13分・約850メートル
となっています。
おすすめは豊水すすきの駅から向かい対岸にある「志村鐵一」と同じく豊平川の渡し守であった「吉田茂八」の「札幌開祖 吉田茂八碑」を見てから「志村鐵一ゆかりの地」を見るのがおすすめです。
志村鐵一ゆかりの地・顕彰碑の様子
すすきの方面から歩いてくると豊平橋という橋があります。
上記写真中央に見える建物が「プレミアムホテル TSUBAKI 札幌」で、このホテルの敷地内に「志村鐵一ゆかりの地」はあります。
橋の上からは豊平川とビルの奥に藻岩山が見えます。
橋を渡り、ホテルの交差点側の敷地に「豊平川小史」というパネルが置かれています。
志村鐵一が石狩役所調役の荒井金助より豊平川の渡し守・通行屋守に任命されてから150年の年に、豊平川の小史を記した。
と書かれています。
このパネルの右側に進むと「志村鐵一ゆかりの地・顕彰碑」があります。
土台がかなり立派なものとなっている顕彰碑です。
志村鐵一の由来の記として志村鐵一について説明されています。
氏は信州に剣客にて石狩調役荒井金助氏の招きに応じ安政6(1859)年に永住していた。幕命をうけて豊平川渡し守となり駅逓を兼ねる。この地より役120メートル川下が氏の住宅の遺跡なり。
この碑は大正10年当時の北海道庁河野常吉氏が発起人代表となりその場所に建立されたものであるが、新豊平橋完成にともない昭和42年7月に市が橋台小公園に移転安置せるものである。
尚この碑の筆跡は当時の北海道帝国大学総長 佐藤昌介氏の揮毫させるものである
昭和42年(1967年)8月
札幌開祖志村鉄一碑顕彰保存会平姓年11月 碑文の一部を修正し新しく設置した。
と刻まれています。
つまり上記の碑「札幌開祖志村鐵一碑」の文字はの北海道帝国大学(現 北海道大学)総長 佐藤昌介氏が書いたものを石に掘ったということです。
札幌開祖 志村鉄一翁居住之地跡
札幌開祖志村鐵一碑から160メートルほど豊平川の下流方面に向かうと「札幌開祖 志村鉄一翁居住之地跡」があります。
上記写真の辺りから川と反対方向を見てください。
「札幌開祖 志村鉄一翁居住之地跡」の裏側が見えます。
すぐ近くに階段があるので階段を下りて上記写真の横断歩道に行くと正面から見ることが出来ます。
この場所に志村鉄一氏は住んでいたということになります。
志村鉄一について
志村鉄一氏についての最後は諸説あり、仕事を奪われ絶望し定山渓に向かうが途中で行方不明になったという話があります。
仕事が無くなった後も今の場所に住み続け冬の寒い中、囲炉裏の近くで刀を抱いて眠るように息絶えていたという話もあります。
実際のところはわかりませんが、最後は明治に変わった札幌で幕命で来た志村鉄一氏はあまり良い最後では無かったようです。
基本的に記念碑しか無い名所ですが、札幌の歴史に思いを馳せるのに来てみてはいかがでしょうか?
以上、志村鐵一ゆかりの地・「札幌開祖志村鐵一碑」についてでした。
コメント この場所に行ったことがあるのなら是非感想を書いてくださいね。