札幌のシンボルとも言える「札幌市時計台」は、元々は現在の場所から約130メートルほど北東にありました。
実際にどの辺りにあったのか?それがわかるように「札幌農学校演武場跡」として石碑が建っています。
札幌市時計台は元々は「札幌農学校 演武場」として建てられたので「札幌市時計台跡」ではなく「札幌農学校演武場跡碑」として残されています。
時計台からすぐの場所なので、話のネタに立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
札幌農学校演武場跡碑の詳細とアクセス方法
- 住所:〒060-0001 北海道札幌市中央区北1条西2丁目
- TEL:なし
- 営業時間:24時間
- 定休日:なし
- 入場料:なし
- 駐車場:なし
- マップコード:9 522 296*80
札幌農学校演武場跡碑へのアクセス方法・行き方
札幌農学校演武場跡碑へは公共交通機関が便利です。
地下鉄大通駅6番出口から約500メートル、徒歩7~8分ほどの距離です。
札幌市時計台を目指して来てもらえれば非常に近くにあります。
上記写真で左端に見えるのが札幌市時計台の後ろの部分です。そして写真右側に札幌農学校演武場跡碑があります。
札幌農学校演武場跡碑の様子
札幌市時計台の正面から札幌駅方面に向かい、最初の交差点を右折すると札幌農学校演武場跡碑が見えてきます。
「札幌農学校 演武場跡」と刻まれた石碑とその上に説明板があるだけの場所です。
わざわざこれだけを見にくることも無いかもしれませんが、札幌市時計台はここにあったということを知るだけでも面白いのではないでしょうか?
大理石に深く刻まれています。
このあたりは、開拓使が米国マサチューセッツ農科大学を範として創設した札幌農学校(初代教頭W.Sクラーク)の休校地にあたります。
その兵式訓練室と講堂などの機能を併せ持った建物が演武場で、明治11年(1878年)に現在の北2条道路上の位置に建てられ、明治14年(1881年)に塔時計が付設されて、現在「さっぽろ時計台」として親しまれている姿となりました。
その後、札幌農学校は現在の北海道大学の位置に移転され、残された演武場は、明治39年(1906年)に道路整備に伴い約100m移動されました。現在は、国の重要文化財として、大切に保存されています。
と説明されています。
元々、札幌市時計台は塔部分の時計はなく、後から塔時計がつけられました。
その後に現在の場所に移動され、現在に至ります。
札幌市時計台の見学の後に是非、立ち寄ってくださいね。
コメント この場所に行ったことがあるのなら是非感想を書いてくださいね。