歩道橋を避けて歩くようになってからもうどれくらい経ったのだろうか。
先に上った方が勝ちと何をかけていたのかもう記憶には無いが、子供の頃は歩道橋を見つけると母親と一緒に競争したものだった。
しかし年齢とともに歩道橋を避けるようになった。
そんな子どもの頃の思い出があるためか、歩道橋を見ると懐かしさがこみ上げてくることがある。
札幌市内の歩道橋
札幌市内には60以上もの歩道橋があるだろうか。その内、札幌市が管理している歩道橋は39あるとのことだ。
この数は年々減ってきている。
老朽化、利用者の減少、維持費の問題、交通手段・交通状況の変化、考えればいくつかの理由は思いつく。
主に学校等の近くに子どもの安全のために作られた歩道橋であったが、子どもの数が減少し、階段の上り下りが厳しく感じる年配者が増えているのだから、歩道橋というものはその役目を終えていくのであろう。
実際に歩道橋を使う人は昔と比べて半減している。
つまり歩道橋を見て懐かしさを感じるというのは、淘汰されていく運命のものを見るために感じるものなのかもしれない。
創成川通北3条歩道橋と北4条歩道橋
ここ1、2年で撤去された歩道橋の1つに、豊水横断歩道橋がある。創成川通(国道5号線)の南端にあった歩道橋だ。2018年9月に撤去されている。
同じ創成川通、札幌駅からすすきのまでの間にはまだ2つの歩道橋が残っている。
「創成川通り北三条歩道橋」と「創成川通北4条歩道橋」だ。
この2つの歩道橋は札幌市が管理する歩道橋ではなく、国土交通省の北海道開発局が管理する歩道橋である。
創成川北4条歩道橋
創成川北4条歩道橋は1972年に建てられた歩道橋であり半世紀近くが経っている。
横断歩道までの距離も近く、横断歩道を作れないことも無い場所だけにあと数年で消えるかもしれない。
ただこの歩道橋には面白いところがある。
創成川通を望むために少しだけ出張っているところがあるのだ。
この出張っているところからはJR線の陸橋と創成川がよく見える。
でも、いつしかこの風景も見られなくなるのだろう。
この出張っているところには1枚のパネルが設置されている。
慶応2年(1866年)に撮影された大友堀(現在の創成川)の写真だ。
かつてはこんな景色がここに広がっていたのだ。
反対側を見るとさっぽろテレビ塔と創成川通り北三条歩道橋、そして2018年に完成した札幌創成スクエアが見える。
さっぽろテレビ塔が完成したのは1957年だから、この歩道橋を作っている時には既にさっぽろテレビ塔があったのだと思うと、さっぽろテレビ塔の歴史を感じられる。
創成川通り北三条歩道橋
創成川通北4条歩道橋から離れること約140メートルの距離にあるのが「創成川通り北三条歩道橋」だ。
創成川通り北三条歩道橋と並行してある北3条通は歴史的な建物が多く、起点には北海道庁旧本庁舎があり、サッポロファクトリー、旧福山商店、岩佐ビル、旧永山武四郎邸と続く。
創成川通り北三条歩道橋も1972年に建てられている。
創成川通り北三条歩道橋は創成トンネルの出入り口付近にあり、横断歩道では危険もあるため、希望的観測も含めてだが、まだしばらくは残るであろう。
しかし、この横断歩道橋が残ってくれるのは非常に嬉しい。
その理由はこの横断歩道からの景色が好きだからだ。
北海道らしい縦型の信号機が並び、中央には創成川公園の木々が生えているが、東北以北ならどこにでもありそうな景色ではあるが、ここからの景色が好きなのだ。
西側を見れば赤れんが庁舎の上の部分が望めるのも好きなところだ。
東側を見ると「BUDDY BUDDY」という表面が赤レンガで覆われたレストランがある。
そして中央には札幌の歴史を支えてきた創成川(大友堀)が見える。
そうか、札幌の歴史を垣間見れる風景が所々に点在しているからこそ、この景色が好きなんだと気がついた。
帰り際、歩道橋の階段をじっくりと見てみた。錆が浮き出ているものの手入れは所々されているのがわかった。
しかし歩道橋の裏側を覗いてみるとと錆で一部歩道橋の裏側が錆て、欠落している部分があった。
錆びついた歩道橋の裏側を見て懐旧の念が更に強まった。
創成川通北三条歩道橋・北4条歩道橋へのアクセス方法・行き方
JR札幌駅・地下鉄さっぽろ駅から徒歩7~10分ほど
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