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はじめての北海道の想い出はただ白かった【留萌駅】

留萌駅 道北
留萌駅
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愛知県出身の自分がはじめて北海道に来たのは東京の大学に通って半年ちょっと経過した時だった。

サークルのOBが良いアルバイトがあるからやってみないか?という話を持ちかけられた。

今から25年以上前の話だが、当時どこかの出版社が中学生のビデオコンクールを実施して入賞した中学校に取材に行くというものだった。

日当制で交通費と食事代は別で、たしか15000円だった。移動に時間がかかるものの、実際の仕事時間は2~3時間、後は遠くなら1泊して遊んで帰ってきて良いという、あまり遠くに行ったことが無い貧乏学生にしてみれば、楽しみしか無いアルバイトだったので、ニつ返事で引き受けた。

サークルのメンバー5人くらいで全国を分担したのだが、その時に担当することになったのが北海道の道北にある留萌だった。

1991年のことだ。

はじめての北海道、時期は12月に差し掛かるころだった。

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留萌駅はただ白い想い出だけが残った

先日、1991年ぶりに留萌駅にいってみた。

留萌駅

1991年当時のことはあまり覚えていないが、もう少し駅に活気があったように思う。

データを見たが1991年当時の留萌の人口は約32000人、今は21000人を切っている。1万人も減れば当然、活気も失われるだろう。

ただ12月に差し掛かる11月下旬の留萌の記憶はただ白かったという想い出だけが残っている。

愛知県で大学進学までは過ごし、その後上京して、それほど全国を見たことが無かったため、ここまで雪は積もるものなんだと驚いた。

後から知ったのが、留萌という土地は北海道の中ではそれほど積雪の多い地域では無いということだが、それでも雪国に訪れたことが無い自分にとっては驚くほどの雪だった。

取材のアルバイト自体は中学校までタクシーで行き、2時間ほどで終了した。

のどかな中学校だった。

防寒靴・防滑靴の存在なんて知らなかったため、普通のスニーカーで訪れたが、担当してくれた先生に驚かれた。

その後、駅まで戻り札幌で1泊をして東京に戻った。

札幌での記憶はかなり曖昧だが、それほど雪は無かったように覚えている。

留萌駅

ただ先日訪れた留萌駅は、1991年当時の記憶に残るものと同じだった。

留萌駅

風雪に耐え、錆も多くなっているが、当時の面影が残る留萌駅は、きっと多くの人の想い出が残っている駅のだろう。

留萌駅の廃線

留萌駅から少し離れた留萌港の近くには、廃線となった線路と鉄橋が残っていた。

留萌駅

鉄橋の奥に留萌駅が見える。

1991年に訪れた時は留萌駅は終点では無かった記憶がある。しかし今は終着駅となっていた。

その先、増毛駅までの区間が廃線になったため、2016年12月に廃線になったからだ。

かつて訪れた駅の先が廃線になっていると思うだけで寂しく思うのだから、この路線を使っていた人にとってはもっと大きな寂しさを感じずにはいられないだろう。

白い記憶だけが残っている留萌駅だったが、新しい記憶が残ることになった。

現在の留萌駅は1日9本しか出発する汽車はない。利用者も1日100人ほどだという。

札幌から留萌駅に向かう場合、鉄道よりもバスの方が早く安いため、バスを使う人の方が多くなっている。

そう考えるとこの先、留萌駅自体が無くなる可能性すらある。

だからこそ、今の内に訪れておきたい駅だと感じた。

留萌駅の詳細

道北
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